2015/12/21

階段

講座に際しては、階段をつくる。世間の講師のほとんどがそうだと思う。段差が緩やかで幅広な部分もあれば、急な勾配の部分もあるように設計した「階段」を用意するのだ。

3時間以内にまとめる講座では、テーマに沿った特定カラーのカーペットを敷く。階段全体のサイズよりも少し狭く短いカーペットを敷いて昇り方を限定する。私が皆さんを案内して、下から順序よく皆で一緒に昇ってもらう道標だ。そして「今日のカーペットの頂点はここです」という「ここ」を持って帰ってもらえるように努めている。

一方、3時間を超える講座の場合(概ね指導者向け)は、階段の姿を先に見せてしまう。カーペットは敷かない。カーペットの持ち込みは各自の責任においてやってもらう。私がひとつずつ手招きをするのではなく、各自の昇り方をしてもらう。そのためにも階段の全貌に関わる情報は最初からできるだけ多くを受け渡している。配布資料は出し惜しみしない方だと思う。その代わり、全員に共通する「ここ」は用意していない。明日すぐ使えるテンプレートではないのだ。この先、自分でも階段を作ってみたいという意欲、きっと作れるだろうという自信。そのキッカケを提供するのが指導者向け講座だと思っている。そのキッカケを、身体感覚を通した記憶となるような「仕掛け」をあちこちに配した階段を提示しているつもりだ。

疑う力、悩む力、考える力、作る力、アウトプットする力、フィードバックを見極める力、修整する力、そうした一連の作業を継続する力

一部の人にとっては耳にタコだろう。私が指導者向け講座で繰り返し強調している言葉だ。


今、ヨガの指導者は掃いて捨てるほどいる。ヨガの指導を仕事にしたいのなら、ましてヨガの指導で生計を立てたいのなら、本気で努力しなければならない。好きなことをやって楽しく食べていけるほど世間はあまくない。私も「前職で心身を壊し→ヨガに出会い→ヨガの指導者に」という、よくあるパターンだ。しかし、いつのまにか前職よりもヨガの先生をやっている年月の方がずっと長くなった。フリーランスの立場でヨガ指導をする、その稼ぎだけで自分の身を100%賄っている。前職よりも現在の方がはるかに厳しくツラい。劣等感、失望、嫉妬、老い、期待、プレッシャー。それでもやはり生き甲斐なのだ。寝ても覚めてもヨガの「指導法」を考えている。「先人の教えをシェアしているだけ」なんて思っていない。これはまぎれもない仕事であり、自己実現のひとつだ。自分の講座の中で階段をつくるように、自分の仕事への向き合い方に階段をつくり、そうやって自分の人生に階段をつくっている「途中段階」なのだと思う。



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