2015/04/27

オーガニックライフ東京


オーガニックライフTOKYO
今年も3331Arts Chiyoda。旧小学校の素敵な空間。



私は
テンセグリティー・ヴィンヤサ
陰ヨガリレー
2クラスを担当しました。

こんなイベントでのテンセグリティー・ヴィンヤサは、お祭りver.のまさに「Theテンセグ」にしています。楽しんでいただけたでしょうか。部屋いっぱいのナウシカテンセグは圧巻でした。

真弓ちゃん、あうんのアシストお疲れさまでした。

テンセグTシャツ、もう少ししたら一般向けの受注もスタートするようです。



そして
GORI先生→ACO貴子先生3人で繋ぐ陰ヨガリレー2年目。
今年はJuana de Arcoさんからご提供いただき、照れまくりのお揃いウェアで登場しました。照れてるわりに写真ではノリノリですが(笑)。ヨギーニに大人気のホアナ。久々の華やかキャミでお腹引っ込めっぱなし。





クラス後は、GORIチームとテンセグチームの合同打ち上げ。
GORI先生とようやく一緒にビールを飲めました。同い年のせいか、話が合う合う。笑いまくりの楽しい時間。




ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました!


2015/04/21

豊橋ヨガテリアWS終了

愛知県豊橋市にある
ヨガテリア(Yoga Terior)

というスタジオへ行ってきました。

ヨガテリアはいっさい工務店に頼んだりせずに、オーナーのサトルさんが全て手作りしたスタジオです。何もない所から完成までの様子をネットでみていたので、実際に訪れてワークショップを開かせていただき本当に感激しました。

サトルさん、ありがとう!最初のきっかけを運んでくれたマコっちゃん、ありがとう!

「テンセグリティー・ヴィンヤサ」

指導者向け勉強会」

楽しかったぁ!ご参加の皆さん、ありがとうございました(^o^)/

ヨガテリア代表、さとるさんがご自身のブログに書いてくれました →


さとるさん・まこっちゃん

ネジ、木材、壁、全部にこだわりがみられます

上にあるパイプは手すりを利用。オーディオもかっこいい。

テンセグ模型(手前)も綺麗に作ってありました

プロップスも充実

テンセグ風ハーフムーンもすぐマスター

ウイングはどこでも好評です


こちらは第二部の様子

第一部「テンセグリティー・ヴィンヤサ」

ありがとうございました!

第二部「指導者向け勉強会」

ありがとうございました!
 
キャンドルアーティストでもある さとるさんからいただきました

お世話になりました!



「4月猫の森ヨガ」残席わずか

4月のACOYOGA in 猫の森桜舎

今日現在、あとお二人大丈夫です。

428日(火)19:00-20:30

お申し込みはコチラから→

「猫の森」には、飼い主さんが亡くなったり入院したりの事情で残された猫たちが暮らしています。桜舎は千駄ヶ谷にあるマンションです。そこで、初心者向きのヨガをしています。猫たちはケージに入っているわけではなく、自由に動いています。というか、そこは猫たちが主役で暮らす場所なのです。猫たちが驚いたり怖がったりしないよう、仰向けや座位でゆっくりした動きのポーズや呼吸が中心です。

「猫と一緒にヨガをする」わけではありません。あくまで人間を相手に、一日のお疲れをとっていただくヨガを提供しています。

最初は知らない人間たちが集まってきてチョッと緊張しているかもしれない猫たちですが、ヨガがスタートして少しずつ室内が良い氣に満ち始めたら、安心して近づいてきたり歩き回ったり、ポーズをしている横に来て添い寝したり、顔にクンクン鼻を押し付けてきたりします。ヨガと猫を愛する皆さま、一度ぜひお越しください。

レンタルマットはありません。マットかバスタオルをご持参ください。
冷えないよう暖かく動きやすい格好で、私服のままでも大丈夫です。









2015/04/15

なんでだろ

facebookでちょっと投稿してみた。

人がイベントのお知らせを投稿した時、世界で一等最初のコメント欄に「ぐっ…(>_<)その日は仕事でいけません」とか書いちゃう人。どんだけ空気読めないんだろ。そんなコメント要らないし、どうしても伝えたきゃ個人メッセージもあるし。その後のみんなに「欠席OK」ムードを作り出しているのが分からないのかな。最初にコメントするなら追い風のエールを送ってあげた方がいいと思う。行く気がなくても、せめて「楽しそーですね」とかさ。

´-`.oO´-`.oO´-`.oO´-`.oO´-`.oO

twitterだと「ぎゃはは!あるある!」で終わることが
fbだと炎上さながらのマジ論争されてしまう。
どうしてなんだろ。

そして
「私も常日頃から思ってました!」とか勇ましくコメントされても...
ここぞとばかりに長い長いコメント残されても...。
相変わらず、自分のウォールはスッキリ整然としてるくせに。
結局、自分のウォールはお花畑のまんまのくせに。
ここなら毒撒き散らかしてもOKみたいな?
こらこら、それは私のフンドシ。はっけよい!


5/9 ロータス恒例テンセグWS

隔月開催(のはずだった)

恒例☆ロータスエイトのワークショップ

「テンセグリティー・ヴィンヤサ」

5月9日(土)13:30-16:30


なんだか久しぶりな気がします。


それもそのはず。1月新春WS以来です。

そして、今回は第23回


もうお伝えしたいこと満載でウズウズしています。

新ヴァージョンはいつもここのワークショップから。

皆さまのご参加をお待ちしています!


こちらでお申し込み受け付け中です。






腰痛改善WS終了

Sun&Moon

「腰痛改善ワークショップ」を開催しました。

ノリのよい皆さん。たびたびドッと笑い声も。

ペアワークにも積極的に取り組まれて感激しました。

盛り上がりました〜(^o^)/

ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

お手伝いいただいた えびちゃん、おつかれさまでした。

サンムンWSはいつもキャンセル待ち多数の大盛況。ありがたいです。

エアー壁支え戻しの術でヴィラ1

テンセグTT3期のAkiちゃん、春江ちゃんにもお手伝いいただきました

大活躍してくれたアシスタントえびちゃん

座学も実技も熱心に取り組んでいただきました。ありがとうございました。

2015/04/11

猫の森ヨガWS4月募集

ACOYOGA in 猫の森 ワークショップ

4月も募集します。定員わずか6名。
気になっている方、一度ぜひ。

4月28日(火)19時~20時半

千駄ヶ谷にある桜舎にて
猫さんたちと一緒にゆるりヨガを楽しみましょう。

初心者大歓迎です。

詳細、お申し込みはコチラからお願いします → 











2015/04/08

賛否両論


賛否両論を何か大変なことのように思う人がいるのが分からない。


個人の意見には賛否両論がつくのが当たり前。


全員からイエスをもらうのは不可能。

もし全員がイエスなら、

それはすなわち全員が

「どっちでもいい。どうでもいい。特に関心なし」

と思っているのと変わらない。


賛否の「否」は、

関心を抱いた上で反対意見が浮かんだという、

それなりに積極性のある思考や感情の動き。

反対の立場であろうと、一個人の存在を認めてくれた証拠。


そして、「嫌い」という理解の仕方もある。



2015/04/06

シュクラ原宿WSの報告

シュクラ原宿でワークショップを開きました。

ヴィンヤサしないと告知しておきながら、前夜に「やっぱりヴィンヤサします」とSNSでヒンシュクなお知らせをしてスミマセンでした。

当日はあいにく雨まじりの空模様。お花見もいよいよ最後かな、なんて日曜の原宿。

とても嬉しいメンバーが集まり、いつものワークショップとは違う雰囲気で始まりました。とても親密でありながら、何ともいえない張りつめた氣も漂う。積み重ねてきた絆の優しさと、終わりに近づく切なさと。少し泣いたり、ワハハ笑ったり。思い出に残る時間が流れました。

最後に「桜の瞑想」を提案させていただきました。

吸息で咲く花を、吐息で散る花を 思い描きながら深呼吸。

やがて、咲く花の横で後ろで散る花が。散る花の横で後ろで咲く花が。
桜は散りながら咲く花。

陰も陽も分けない。同時の。ひとつの。あるいはゼロへ。

最後の桜を思い描く。
移ろう季節の中で、咲き誇りながら散り誇り、散り誇りながら咲き誇る。

時は移ろいでいく。美しいものは切なく儚い。儚いものは美しい。
悲しいこと厳しいことが襲ってこようと、それでもやはり、世界は美しい。

元の形に戻らなくても、形を変えながら、在り続け、生き続け。
楽しもう。祝福しよう。そうして繋いでいこう。

愛されたスタジオのファイナル月。この日、この空間で過ごせたことに感謝します。
ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました(^o^)/
みちこちゃん、ありがとうございました(^o^)/
シュクラのスタジオ、ありがとうございました(^o^)/






2015/04/05

ヨガポーズで撮影(2)

前回の投稿「ヨガポーズで記念撮影すること」に対して、Facebookでコメント以外にもメッセージをいくつかいただきました。メッセージを直接送ってくださる方に限って、ちょっと待ってくださいよ!な方向からのご意見だったりします。そのたびに私は、きちんと思いを伝えることができなかった自分の文章のダメさ加減に落ち込みます。

ヨガのポーズで写真を撮ること全部を否定してるわけじゃありません。

そして、私は個人的意見を述べているだけです。日本のヨガ業界の住人はお花畑を住処とする人が多いのでしょうか。曖昧な一般論ではなく、「私は〜と思います」と書くだけでヒールのようなキャラになってしまいます。

とりあえず前回の投稿は、この一週間というもの、桜の樹の下でヘッドスタンドやマユーラやティッティバといったヨガのポーズをしている(ほとんどが男性)写真ばかり並んでいるのを見て、ゲンナリしてしまい、どうしてゲンナリするのかを考えて、考えた結果を書いただけです。


こんな所で

こんなことする必要があるのか

本人には必要があるのかもしれません。商品として、作品として、コンセプトとして、あるいはご愛嬌や無邪気な記念写真として。そういうのは私も気にしません。そもそも当たり前のことですが何でもよいのです。本人の自由意志ですから。

ただ、どうせなら風景との一体感をおぼえるような写真だといいのにな、と思うわけです。この風景を制覇した俺さま感バリバリな写真はカッチョ悪いなと思うわけです。私の友人は、それを「足りないモノを埋めるための獲得を広げている行為」だとコメントしました。私もそう思います。先の投稿では一番これを言いたかったのです。風光明媚な場所で難度高いポーズをとろうと、私の好きな雰囲気の写真と、好きではない雰囲気の写真があって、好きではない方の特徴を自分で自分のために説明したのです。何でもかんでもダメと言ってるわけではありません。自分の志向(嗜好)を書いたのです。

「何でもよいのです」と書いておいて何ですが...、ついでに言っちゃえば、いいかげん大人なのだから、どこかへ出掛けて、たとえば荘厳な建造物の中で、いちいち「来ました」マーキングをヨガのポーズでやらないといられない、そのムズムズ感を我慢してはどうだろうとも思います。近くの子供が驚いて泣き出したら大変です。自然児みたいに振る舞うチョッと変人な自分自慢。それはマナー知らずの傍若無人さと紙一重かもしれません。

いつでもどこでも No Yoga, No Life!じゃないですって。
Love and Peace!言ってる場合じゃないですって。
Save the Earth! Be Organic! あぁとまらない。







テッカイ

先週、Sun&Moonスタジオで

「オーガニックライフまで糖質ダイエットする!」宣言しましたが...

撤回します。

4月は宴席が多すぎます。

9月のヨガフェスタ横浜が近づいた頃にきっと、

きっとまた何かが降りてくると思います。

果報は寝て待て。

ちがうか。




2015/04/04

ヨガポーズで記念撮影するということ

いつでもどこでもヨガポーズでパシャリする人がいる。

目立つアームバランスのポーズをドヤ顔でしていても、
(「アーム」は英語で「権力」の意もある)
もう少しおとなしめで、祈ってたり瞑想している風でも、
掌に太陽をのせていても、
逆光でも、
アイデンティティーを消している風でも、
狙っていても、
無邪気な記念写真だとしても、

印象はだいたいふたつ。

「場に溶け込む静けさ」を感じる場合。
あるいは、
「場を征服する猛々しさ」を感じる場合。

これはヨガポーズに限らない。
たとえば自然の中で様々なレベルのザラつき感を試みるファッション写真しかり。

いずれにせよ、私は男性的な印象を受ける写真が苦手だ。
あえての表現として、男性的と言ってしまおう。

桜の下。岩の上。サンライズ。サンセット。そこはそのままで十分に美しいのに。

犯(冒)そうとしている。征服しようとしている。汚そうとしている。

私の中には、暴力的な権利の主張に対して、徹底的な嫌悪が根づいている。
そのせいで、ついつい過敏にみてとってしまうのだろう。

・・・イージーに心理分析されそうな文章になっちゃった (--;


同志社大学総長の祝辞

同志社大学のサイトから。大谷総長が卒業生に送った祝辞です。

創始者の言葉を受けて。
あくまで「個人主義」についての解説として。
自分の政治理念を押し付けるわけではなく。
でも確実に聴き手の意識に働きかけていく。
最高学府のトップが卒業生を社会に送り出すスピーチとして、これは語り継がれるものになりそうだと思いました。

とても素晴らしいので、ここにシェアします。

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2014年度同志社大学卒業式祝辞(2015年3月20日)

同志社総長 大谷 實 

 一言、お祝いの挨拶を申し上げます。
 皆さん、同志社大学のご卒業、また、大学院のご終了、誠におめでとうございます。学校法人同志社を代表して、心からお祝いを申し上げます。また、ご両親をはじめ、ご家族の皆様、本日は、誠におめでとうございます。心からお喜び申し上げます。

 さて、卒業生の皆さんのほとんどは、これから社会に出て活躍されるはずですが、私は、今日の我が国の社会や個人の考え方の基本、あるいは価値観は、個人主義に帰着すると考えています。個人主義は、最近では「個人の尊重」とか「個人の尊厳」と呼ばれていますが、その意味は何かと申しますと、要するに、国や社会で最も尊重すべきものは、「一人ひとりの個人」であり、国や社会は、何にも勝って、個人の自由な考え方や生き方を大切に扱い、尊重しなければならないという原則であります。個人主義は、利己主義に反対しますし、全体主義とも反対します。
 同志社の創立者新島は、今から130年前の1885年、同志社創立10周年記念式典の式辞のなかで、「諸君よ、人一人は大切なり」と申しましたが、この言葉こそ、個人主義を最も端的に明らかにしたものと考えられます。
 この個人主義について、日本の憲法は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、国政の上で最大の尊重を必要とする」と定めています。遅ればせながら、68年前の1947年5月3日に公布された日本国憲法で、個人主義を高らかに宣言したのです。
 あの悲惨な太平洋戦争の原因の一つであった、全体主義あるいは天皇中心主義といった国や社会のあり方について、深刻に反省し、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」て、全体主義・天皇中心主義の国や社会のあり方を180度転換して、「すべて国民は、個人として尊重される」としたのです。憲法13条は、まさに、日本国憲法の根幹を示すものとして規定されたのでした。

 ところで、諸君も十分判っていると思いますが、安倍首相の憲法改正の意欲は並々ならぬものがありまして、早晩、改正の動きが具体的になってくるものと予想されますが、そのために、自由民主党は自民党憲法草案なるものをまとめて公表するに至りました。その中で、「個人の尊重」という文言は改められて、「人の尊重」となっています。起草委員会の説明ですと、従来の「個人の尊重」という規定は、「個人主義を助長してきた嫌いがあるので改める」というものであります。今日の価値の根源となっている個人主義を、柔らかい形ではありますが、改めようとしているのです。このことは、これまで明確に否定されてきた全体主義への転換を目指していると言ってよいかと思います。

 先にも申した通り、日本国憲法は、個人主義を正面から認め、人間社会におけるあらゆる価値の根源は、国や社会ではなく、一人一人の個人にあり、国や社会は、何よりも、一人一人の個人を大切にする、あるいは尊重する、といった原理であると考えています。
 自民党草案の他の規定を見ましても、個人よりも社会や秩序優先の考えかたがはっきりと表れており、にわかに賛成できませんが、私は、個人主義こそ民主主義、人権主義、平和主義を支える原点であると考えています。
 卒業生の皆さんは、遅かれ早かれ憲法改正問題に直面することと存じますが、そのときには、本日の卒業式において、敢えて申し上げた個人主義を思い起こしていただきたいと思います。そして、熟慮に熟慮を重ねて、最終的に判断して頂きたいと思うのであります。

 結びに当たりまして、卒業生、終了者の皆さんのご健康とご多幸をお祈りし、併せて、一国の良心としてご大活躍されますことを期待し、また、お祈りして祝辞とします。
 本日は、誠におめでとうございます。







2015/04/01

猫の森ヨガ 3月終了

猫の森 桜舎のヨガ。ご参加の皆さま、ありがとうございました(=^・^=)

今まで「猫の森 桜舎」ヨガに来てくださった皆さん、猫の森は変化しています。
ほしおくんは橋を渡りました。ふくちゃん、くまちゃんは紀伊浦神の猫楠舎に引っ越しました。なつこちゃんも4/13出発します。代わって、ニューフェイスはカカ太郎くん、ニコたん。ちいちい、華ちゃんも元気です。変化してます。動いてます。会いにきてください。猫の森はさまざまなワークショップを開催してます。

次回の猫ヨガは、4月26日(火)19時から桜舎です。












テンセグまたはアウトプット

テンセグリティー・ヨガで道徳的なこと社会的なことを偉そうに言うつもりはない。
それじゃなくても、そうならないよう、アプローチには出来る限り通俗的でエンターテインな要素を入れているつもりだ。

表したいのは、
内と外。
陰と陽。
氣。

新しいことなんてひとつもない。自分が学んできたヨガ。
概念で終わりそうな受け売りのものじゃなく、とても身近なところで解釈してみたい。

どうせ何をしても何をいっても、「そうじゃない」「そんなもんじゃない」と言われるのだから。

恐れない。恥をかいてもいい。

せっかく生きているのだから。

生きているうちに、自分が関わったものについて、学んでいるものについて、勇気を出して自分の言葉でアウトプットしてみたい。

学びと共に、人生と共に、現在進行形で変容する羞恥を覚悟して。

こうした捉え方をアンチ原理主義とは思わない。