今日のブログは、雑誌『BRUTUS』でたまたま読んだ岡本仁氏の文章の丸々コピー。
相方が久しぶりに買ったブルータス。ムッシュかまやつへのオマージュを中心に、様々な芸能人文化人が自分の東京についての考察を書いている。へ~、と流し読みしていたら、その昔、私がかなり影響を受けたロラン・バルトの文章引用から始まったエッセイに出くわした。わぁ。その内容が大変におもしろいので、自分メモの意味も含めて、以下、拙ブログにコピペさせてもらう。
『BRUTUS』 2018 3/15号
~みんなで考える、東京の今とこれから~
「東京らしさ。」特集
「東京スカイツリーとモーパッサン。」 文(と写真)岡本 仁 氏
― 東京タワーに比べたら人気薄の世界一高い塔を擁護する試み。---
「モーパッサンは、自分が少しも好きではないエッフェル塔のレストランで、しばしば食事をした。だってここは、私がパリで塔を見ないですむ唯一の場所だからさ、と言いながら……」
ロラン・バルト『エッフェル塔』(宗左近、諸田和治・訳、審美社刊)の書き出しである。浅田彰の『構造と力』が15万部も売れた80年代前半に、流行り物に弱いぼくは現代思想をオシャレと勘違いしてしまい、勢いでこの本を買ったのだったと思う。もちろん内容を理解できるわけもなく、ただこの冒頭の文章の格好よさを記憶しているだけだ。いま東京スカイツリーについて書きたいぼくは、急にモーパッサンとエッフェル塔の話を思い出して、30年ぶりにバルトを読み直し(相変わらずチンプンカンプン)、東京スカイツリーを嫌っていた有名人を名前を検索してみた。
「石原慎太郎(あるいは曽野綾子)は、自分が少しも好きではない東京スカイツリーのレストランで、しばしば食事をした……」。うーん、痺れる書き出しとは言い難いな。
東京らしい風景って何だろう? ここ数年、ずうっと考えている個人的なテーマだ。いや「テーマ」なんて言葉は大袈裟かな。例えば、鹿児島の桜島にあたるような、県民の誰もがわが鹿児島の象徴と文句なしに考えるような風景が、東京にはあるのだろうかと、ある時ふと思ったのだ。東京の場合、もちろんそれは自然物ではないだろう。となると構造物。皇居の二重橋か東京駅の丸の内駅舎か、はたまた代々木の国立代々木競技場か芝公園の東京タワーか。いろいろ頭を悩ませてもひとつに絞ることができない。なので、絞る必要はないのだ、構造物が見渡す限り広がるパノラマこそが東京らしいのだと考えてみた。東京スカイツリーの展望デッキに行ってみよう。350メートルの高さから東京を見下ろそう。実は以前にも一度だけ展望デッキに行ったことがあるけれど、この時は天候に恵まれなかった。今回は天気上々で、六本木と渋谷、西新宿の高層ビル群の間に富士山まで望めた。
「塔は見られている時は事物(=対象)だが、人間がのぼってしまえば今度は視線となって、ついさっきまで塔を眺めていたパリを、眼の下に拡がり集められた事物とする」と、バルトが『エッフェル塔』に書いた意味を実感する。そうか、書き出しが決まった。
もしもあなたが東京スカイツリーが嫌いなのなら、スカイツリーの「天望デッキ」に行くといい。そこから見える東京らしい風景にはスカイツリーが含まれていないから。
(以上、『BRUTUS』 2018 3/15号。P.34 岡本 仁 氏 による寄稿)
岡本 仁 氏:おかもとひとし。1954年生まれ。マガジンハウスを経て、2009年より〈ランドスケーププロダクツ〉に参加。著書に『東京ひとり歩き ぼくの東京地図。』(京阪神エルマガジン社)、『果てしのない本の話』(本の雑誌社)他。雑誌『暮らしの手帖』で「今日の買い物」を連載。