2014/03/29

ゴールドジムを終えて

ゴールドジム表参道店でのヨガクラスが3月で終了した。

NAS、セントラル、レヴァン、エグザス、ティップネス、東急オアシス(統合されて、今はもう存在しない名前も)とスポーツジムが中心の時代もあったが、担当クラスを少しずつヨガ専門スタジオにシフトしてジムを辞めていっても、ゴールドジムだけは続けていた。約13年間いたゴールドジム原宿店、府中店、表参道店。火曜、木曜、金曜、土曜。店舗も曜日時間帯も様々に変わり、最後の数年間は表参道店だけ。毎週火曜の最終クラス。終わるのが22時近くのクラスにもかかわらず、皆さん続けて参加してくれて本当に嬉しかった。

ゴールドジムと繋がらせていただいたのは四半世紀前に遡る。留学時代の友達Mちゃんがゴールドジムの前身(有)THINK内の英語関係の仕事をしており、そのMちゃんに手塚社長を紹介されたのがそもそもの始まりだ。最初は輸入マシンの取り扱い説明書の翻訳。ほどなく、米国のトレーニング雑誌IRONMANの日本語版を発行するからと、フィットネスの知識も無いくせに、私は英語屋として『IRONMAN日本語版』編集部に就職した。とは言っても、創刊準備号から最初の数号のみ。ほんの短い間ではあったけれど、編集のイロハを教えてもらった(その後、転職先でも会報誌の編集にとても役立ったけれど、まもなく時代はパソコンの専用アプリで編集作業をするようになっていった)。『IRONMAN』では翻訳ページ(たとえばチャンピオンビルダーのトレーニングや食事のメニュー紹介等)を担当。そしてすぐに強行スケジュールの海外出張もあった。手塚社長、編集長、Mちゃんと一緒に渡米して、ボディビルの大会や有名ビルダーの自宅を取材。もちろんゴールドジム、ワールドジムにも取材で行った。私は専門知識が無いので、もっぱら通訳と運転手だったのだが、それでも通訳・翻訳の仕事を通して、短期集中で半端ない情報量を詰め込む訓練はとても勉強になった。(有)THINKが(株)THINKフィットネスとなり、今や事業展開中の複数ブランドのひとつとして「ゴールドジム」が国内で50近い店舗数を誇っている。私と同い年の手塚社長。その昔、L.A.のゴールドジムで私に筋トレマシンの使い方を教えてくれながら「ボクは日本でこんな世界を作りたいんですよね」と話していたなぁと思っていたら、本当に作ってしまった。偉業を成し遂げる人を見せつけられた四半世紀。

その後『IRONMAN』を退職し、なぜだか「原宿アパレル協議会」という法人団体に転職し、そこの事務局に勤め、やがて事務局長になった。この頃はコムデギャルソンやY'sで全身真っ黒。まだ猫の魅力を知らなかった頃。信じられない(笑)。事務局の場所は表参道の同潤会アパートの中。時代的にとても派手で日本のアパレルを動かしているぐらいイイ気になるような仕事の日々を楽しんでいたはずがパニック発作になり、表参道界隈なんて一生行けないような引きこもりになり....、めぐりめぐってヨガに出会い、ヨガのフルタイムティーチャーとなり....、何年か経った頃「オープンしたゴールドジム原宿でヨガクラスを担当しませんか?」という誘いをもらった。

ゴールドジム。手塚社長。原宿(表参道)。運命だと思った。

こう書いていると、他にもゴールドでの懐かしい出来事が次々と蘇ってくる。

ヨガの先生という役でテレビ出演した最初もゴールド絡み。木梨憲武さんの番組で生徒は篠原涼子さんだった。これがキッカケとなり、その後、さま~ずさんのレギュラー番組をもらった。

そういえばオッシュマンズのスタッフを集めてのレッスンも何度か原宿店で開催した。その後、新宿フラッグスビルが完成した時のこけら落としイベントのひとつとして、オッシュマンズ主催で屋上でヨガをさせてもらった。その時、アシスタントをお願いしたのが、当時原宿店のメンバーさんだった(今やアヌサラのインスパイアードティーチャーとして人気の)ミカさん。ミカさんも、まだ結婚される前のご主人もゴールド原宿のメンバーさんだった。そうなのだ。かつてゴールドジムのメンバーさんだった人たちが、どんどんヨガティーチャーとして活躍している。だいたいは、まずIYCアシュタンガのマイソールクラスに行くようになる。あるいはスタジオヨギーも多かった。そして、ゴールドを辞め、ヨガに魅了され、どこかの指導者養成を受け、そして私なんて絶対に無理!ってレベルのポーズだったり本場での修行だったり、次々やらかして(笑)ビッグになっていく。はぁ〜....すごいわ(#^.^#)

ジム会員を辞めてガチでヨガの道へと行く人がいる一方、あくまでゴールドジムで自分の日常のひとコマにヨガレッスンを組み込んでいるメンバーさん達が多勢いた。彼ら彼女らはいつも気づきを与えてくれる。そんなメンバーさん達の存在がヨガへの向き合い方の大切な道標だった。本当にゴールドのヨガのメンバーさんが自慢で自慢で仕方なかった。ヨガを愛するという意味でも、ヨガを理解するという意味でも、そしてポーズや呼吸のレベルでも、ゴールドのメンバーさんはすごい。もう、ホントにすごいんだから!!

スポーツジムにおけるヨガについて、というかゴールドジムへの愛を(笑)旧ブログで書いてた。この頃から自慢しまくり。


「ヨガ@ジム」2007.12.11→
「ゴールド原宿☆終了」2010. 3.28 →


そんな愛しのゴールドジムなんだけど、ワークショップや指導者養成で全国を回らせてもらうようになり、やはり今の最終クラスを続行するのが難しくなってきた。
忙しいから、.........というのも理由。
だが、もうひとつ。メンバーさんが何を望んでいるのか察知できなくなっていた。

なんと言えばいいのだろう。ヨガスタジオでは、既に前提として「ACOYOGAお願いします」的な、私にとって実に有難くやり易い空気が準備されている。それに比べてスポーツジムでは「あんた誰?てか、ヨガって何?」という人も当然のようにたくさんいる。いつものレギュラーさん、久々の人、付き合いの人、興味津々の人、ヤル気ない人、こちらを試すような人etc.。様々な顔ぶれの中で、現瞬間の空気を感知しながら、ひとりずつに挑み、時間内でスタジオの端から端までを同じひとつのうねりへと高めていく。そのハードルを超えた後の達成感が中毒になり「これだからゴールド(スポーツジム)は辞められない病」になっていた。

それがこの2年ほど、現瞬間の空気を感知ということが全くできなくなっていた。震災以降、私自身がテンセグリティー・ヨガという独自スタイルを通して、かなり内面的なヨガに変わってしまったせいかもしれない。挑む気持ちが失せた途端、私のインストラクターとしての感度が老化してしまった。始まる前、オーディオなど準備しながら集まってくれたメンバーさんを見渡し、はたして今日の75分で何を伝えられるだろう?何を要求されているのだろう?と己に問いてみても、なぜか集中できない。とりあえず経験値を活かしてレッスンを開始しても、コレでいいのか?違うんじゃないのか?と疑問が浮かび、浮かびはするも修整できなくなっていた。インストラクターとしての瞬発力がなくなっていた。潮時だと思った。これが本当の理由。

自分としては納得の引退なので清々しい気分。ゴールドジムでインストラクターをするという私の時代は終わったと思う。今は感謝の気持ちしかない。

スタッフ、関係者の皆さま、お世話になりました。
メンバーの皆さま、本当にありがとうございました。










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