どこかの島でもない。あつらえられた非日常の空間でもない。
今ここ。たとえば東京。街の喧騒。
あまりに当たり前で無自覚になってしまった音、音、音。
今ここ。たとえば東京。街の喧騒。
あまりに当たり前で無自覚になってしまった音、音、音。
そして、そうした音のひとつ向こうに、この地でも聴こえる自然音がある。
交差点の向こうに見えるわずかな緑からなのか。アスファルトが途切れた小さな部分の地面からなのか。微かに蠢く命たち。
交差点の向こうに見えるわずかな緑からなのか。アスファルトが途切れた小さな部分の地面からなのか。微かに蠢く命たち。
さらに耳を澄ませば、常にそれらと共にある音たち。
自分の息づかいだったり心臓の鼓動だったり。
自分の息づかいだったり心臓の鼓動だったり。
果たしてそれらの音は本当に今ここから聴こえているのか。もしや記憶の中にあった遠くの思い出の音なのか。
それらを確認する術もなく、それどころか確認する必要もなく。
そこに残るのは静寂。
サウンドは響き続けているくせに、脳内も体内も静寂が貫いていく。
Kengoさんの創る空間。
MICHiさんの創るサウンド。
MICHiさんの創るサウンド。
音をもってして静寂に挑む世界。
silentではなく、quiet。
silentではなく、quiet。
なんて素敵な試みだろう。
なんてチャーミングな手法だろう。
なんてチャーミングな手法だろう。
Dharana to Tokyo。
2人の才能に刺さりまくった土曜日でした。
2人の才能に刺さりまくった土曜日でした。
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