2018/12/29

方丈記 冒頭

方丈記 「ゆく河(川)の流れ」鴨長明

【原文
行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかも もと(本)の水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とゞ)まる事なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。

玉敷(たましき)の都の中に、棟(むね)を竝(なら)べ甍(いらか)を爭へる、尊(たか)き卑しき人の住居(すまい)は、代々(よよ)を經て盡きせぬものなれど、これを まこと(真)かと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或(ある)は、去年(こぞ)焼けて今年は造り、あるは、大家(おおいえ)滅びて小家(こいえ)となる。住む人も、これにおなじ。處もかはらず、人も多かれど、いにしへ(古)見し人は、二・三十人が中に、僅(わず)かに一人・二人なり。

朝(あした)に死し、夕(ゆうべ)に生るゝ ならひ(習い)、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より來りて、何方へか去る。また知らず、假の宿り、誰(た)がために心をなやまし、何によりてか、目を悦ばしむる。その主人(あるじ)と住家と、無常を爭ふさま、いはば、朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて花殘れり。殘るといへども、朝日に枯れぬ。或は、花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。 





【現代語訳】
流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいて(そこを流れる水は)もとの水ではない。(河の流れの)よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では(形が)消え(てなくなり)一方では(形が)できたりして、長い間(そのままの状態で)とどまっている例はない。この世に生きている人と(その人たちが)住む場所とは、またこの(流れと泡の)ようである。 

宝石を敷き詰めたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根(の高さ)を競っている、身分の高い者や、低い者の住まいは、時代が経ってもなくならないものではあるが、これは本当にそうなのかと調べてみると、昔から存在していた家というのはめったにない。あるものは昨年焼けてしまい今年造っている。あるものは大きな家だったのが落ちぶれて小さな家となっている。住む人もこれと同じである。場所は変わらず、人も多いが、(私が)過去会った(ことのある)人は、2,30人のうち、わずかに1人か2人である。朝に(人が)死に、夕方に(人が)生まれるという世の定めは、ちょうど水の泡に似ていることよ。 

私にはわからない、生まれ死んでゆく人は、どこからやってきて、どこに去っていくかを。またわからない、(生きている間の)仮住まいを、誰のために心を悩まして(建て)、何のために目を嬉しく思わせようとするのか。その(家の)主と家とが、無常を争う(かのようにはかなく消えていく)様子は、言うならば朝顔と(その葉についている)露(との関係)と違いない。あるときは露が落ちて花が残ることがある。残るとは言っても朝日を受けて枯れてしまう。あるときは花がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。消えないとは言っても夕方を待つことはない。(その前に消えてなくなってしまう。) 

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