グループレッスンでは、ある一定のシチュエーションを設定してやることが多い。
たとえば、「円(巨大な車輪、丸い時計の盤面、球体etc.)の中にいる」と想像してヨガをする。
心象風景を喚起させるようなBGMを使う効果もあり、実際にはそこに存在しないものにどんどん身体が反応していく。心の柔軟さ。身体の創造力。イメージの共有。ライブならではのエネルギー。
昨夏からは「水」がテーマ。試行錯誤の結果、ようやく見つけた面白いアプローチ。水の中で戯れるイメージはなかなか好評だった。
3月11日、大震災。巨大津波が東北を襲った。
もう水のイメージは使えない。津波に襲われて生還した被災者の中には、水が怖くて味噌汁を飲み込むこともできないPTSDに苦しむ人がいるーーーそんな記事もあった。
水ヴァージョンのアプローチはもう永遠に使えないのか? いや、しばらく封印するだけだ。いつまで? これは場所によっても、個々人の事情によっても大いに異なる。
北陸ワークショップでは、3月末の時点ですら受け入れてもらえた。
東京でもゴールデンウィークあたりになるとポツポツ大丈夫になってきた。
無神経にやっているわけではない。通常クラスでは今でも「水」はまだ復活させていない。テンセグリティー・ヨガを理解してもらう特別ワークショップの際だけ。幾つかのアプローチのone of themとして水ヴァージョンも一部パートに入れているだけだ。それも、事前に主催者や担当者と意見交換して様子をみてからにしている。ゆっくりじっくり大いなる自然と、海と再び向き合っていくために、表現にも悩んで悩んで言葉を選んでいる。
イメージを喚起させる時、言葉の力は大きい。
福島出身の生徒さんは、「エネルギー」「溶ける」「放散する」的な表現を聞くと、ドキっ!として、ヨガには集中できなくなると言ってきた。
火、風、土...なにを選ぼうが、これなら絶対大丈夫というものは無い。
この1週間シャバアーサナの際、5ヶ月ぶりくらいに「海の音とイルカの鳴き声」が聞こえる音源を使った。アサナの最中に水のイメージを要求したわけじゃない。ただ最後の数分のBGMに使っただけだ。
目黒のスタジオでは、終わった途端に1人の生徒さんから「あんな音は使うべきではない」と抗議された。米国で心理学の博士号をとり、震災後のストレスマネージメントWSを開催している女性だった。相手が専門家だけに、こちらも一瞬だけ凹んだ。
しかし考え尽くした上で選択した、私なりのリカバリーの最初の小さな一歩なのだ。
翌日も懲りることなく代々木と東日本橋のスタジオで使った。「あの曲のタイトルを教えて欲しい」 と何人もの生徒さんに言われた。
全員を満足させることはできない。誰かが喜んでいる陰で、別の誰かが酷く不快な思いをしているかもしれない。ビクビクしていても始まらない。いずれにせよ十人十色の様々な視点から評価をされるのだ。3.11に対する、この世界に対する私の取り組み方は、そこかしこからポロポロとこぼれ染み出しているのだから。正解なんて無い。
2 comments:
安心感の中で、ゆっくり少しずつ、振り返り吐き出していくことは、大切だと思います。
閉じ込めて封じ込めた記憶はトラウマになる。
正解はないから。
精一杯感覚を研ぎ澄ませて、ゆっくりゆっくり始める勇気に、敬意を表します。
>安心感の中で
>ゆっくり少しずつ
>振り返り吐き出していく
>閉じ込めて封じ込めた記憶はトラウマに
すべての言葉を噛み締めるように胸に刻みました。
いつもhimikoちゃんの誠実なアドバイスに支えられています。
肝に銘じていきます。勇気をもらいました。
そして、楽になりました。ありがとうございます。
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