2011/07/10

髪を切って思うこと

今朝、鏡をみてギョっ。昨日、美容院へ行ったのを忘れてた。

Twitterで「髪をバッサリ」とつぶやく自分がイヤらしい。予想はしてたけど、友人知人生徒さんが何人も反応してくる。逐一に返答もナンなので、切った後の顔写真を新アイコンに貼付けた。すると、それにもアチコチから感想が。少し距離をおいた人からみたら、ばかばかしい構図かもしれない。髪くらい黙って切れよ、ネットで報告いらねから、予想はしてただと? 期待してましたの間違いじゃね? みたいな(笑)。自分でも、あ〜あやっちゃってるよ、自分....と思いながらツイートしてる。ちなみに、珍しくわざと引用(非公式リツイート)を使う時は、かなり確信犯的にやっているつもりだ。

さらに言えば、新アイコンにしてる写真は自分で写してるから、どうしても斜めから変ちくりんなアングルになる。これがまたサラサラ〜っと前下がりに髪がおちてきて顔に影をつけ、適度によく分かんない状態にしてくれる。そんな写真を選んでる自分がこれまたイヤらしい。実際は、真っ正面からガチでみたら、ただのお椀、まん丸なヘルメットを被ってるみたいな髪型だ。

7年くらいロングを続けていた。ロングだと、女優ぶったウェーブつけたり、サラッサラのストパーにしたり、キュッとひっつめに結んだり、もう雰囲気だけで突っ走っていける。しかし、新しいお椀ヘアーで鏡をみたら、やっぱこんだけ太ってた、老けこんだな、貫禄ついたなetc.つらい再発見だらけ。もう誤摩化しはきかない。

ところで、一般に、太った時、ショートヘアーにした時、同性はすこぶる好意的になる。
「今までが痩せ過ぎてたんだよぉ。そのくらいの方がちょうどイイよ!」
「アダルトで知的な女性って感じ。絶対に切って正解だよ!」

こうした感想をそのまんま信じちゃいけない。これらはトラップだ。少なくとも40歳未満の場合。

私くらいの年齢になると本気にしてもイイ。・・・と思う。もはやビジュアル面で彼女らのライバルではない、どころか、場合によっては母親の年齢だ。
「ACOさん、この1年太ったよねー」「ホントホント。やっぱ限界だね。ビール好きだしさ」
これだけ。ピリオド。だからどうしたと何も続かない。どーでもいい。

私の体型やビジュアルの変化をねちねち気にしているのは、もはや世界でただ1人、この自分だけ。だからこそ自分で自分を甘やかして開き直ったら、もう破滅への勢いが加速していく。熟女好き芸人のアメトークをみてガハハ安心笑いしていられる危ういメーターなんてスグに振り切れるだろう。適度なところで自分を律しないとなぁ....。

職業が問題なのだ。

私服を着てれば、まだ全然デブの範疇ではない。お腹やお尻をカバーすれば、背の高さでまだホッソリしてると錯覚すら起こさせることもできる。しかし、私の場合はヨガウェアを着てる時間が長い。これってかなり特別なことだ。秋には50歳になる人間が、大勢の人前でキャミソールとピチピチのパンツをはいているのだ。そりゃ、腹や太腿や二の腕やあちこちの弛みや肥大化はどうしても晒されていく。これはアカン。いや、もっと年齢上の先生でも体型維持されてる方、ぴったりしたウエアで常に見本ポーズを取ってくれる先生はいますよとか、色々な意見もあるだろうけど。人のことは知らない。あんなピッタリした姿で私はジャッジされてるなんて、私自身も自分をジャッジしてるなんて、そりゃ無理ないわよー、ひっどーい、安心してー、少しくらい太ってもだいじょーぶよー、となっていく。真矢みきに「あきらめないでー」と言われようが関係ない。

このままブヨブヨしていくか/ブカブカのウエアを着るようにするか/転職するか。
この3つは相関関係なので、どれを選んでもオールの選択となるのが悲しい。

だいたい運動神経だって良くない。動くことがそんなに好きでも得意でもない。そもそもこんなに体をつかった仕事してる状況がおかしい。なんでヨガの先生をしていられるんだろ。てか、ヨガはそういうもんじゃないし。この件は長くなるのでまた別の機会に。

No comments: