2015/04/05

ヨガポーズで撮影(2)

前回の投稿「ヨガポーズで記念撮影すること」に対して、Facebookでコメント以外にもメッセージをいくつかいただきました。メッセージを直接送ってくださる方に限って、ちょっと待ってくださいよ!な方向からのご意見だったりします。そのたびに私は、きちんと思いを伝えることができなかった自分の文章のダメさ加減に落ち込みます。

ヨガのポーズで写真を撮ること全部を否定してるわけじゃありません。

そして、私は個人的意見を述べているだけです。日本のヨガ業界の住人はお花畑を住処とする人が多いのでしょうか。曖昧な一般論ではなく、「私は〜と思います」と書くだけでヒールのようなキャラになってしまいます。

とりあえず前回の投稿は、この一週間というもの、桜の樹の下でヘッドスタンドやマユーラやティッティバといったヨガのポーズをしている(ほとんどが男性)写真ばかり並んでいるのを見て、ゲンナリしてしまい、どうしてゲンナリするのかを考えて、考えた結果を書いただけです。


こんな所で

こんなことする必要があるのか

本人には必要があるのかもしれません。商品として、作品として、コンセプトとして、あるいはご愛嬌や無邪気な記念写真として。そういうのは私も気にしません。そもそも当たり前のことですが何でもよいのです。本人の自由意志ですから。

ただ、どうせなら風景との一体感をおぼえるような写真だといいのにな、と思うわけです。この風景を制覇した俺さま感バリバリな写真はカッチョ悪いなと思うわけです。私の友人は、それを「足りないモノを埋めるための獲得を広げている行為」だとコメントしました。私もそう思います。先の投稿では一番これを言いたかったのです。風光明媚な場所で難度高いポーズをとろうと、私の好きな雰囲気の写真と、好きではない雰囲気の写真があって、好きではない方の特徴を自分で自分のために説明したのです。何でもかんでもダメと言ってるわけではありません。自分の志向(嗜好)を書いたのです。

「何でもよいのです」と書いておいて何ですが...、ついでに言っちゃえば、いいかげん大人なのだから、どこかへ出掛けて、たとえば荘厳な建造物の中で、いちいち「来ました」マーキングをヨガのポーズでやらないといられない、そのムズムズ感を我慢してはどうだろうとも思います。近くの子供が驚いて泣き出したら大変です。自然児みたいに振る舞うチョッと変人な自分自慢。それはマナー知らずの傍若無人さと紙一重かもしれません。

いつでもどこでも No Yoga, No Life!じゃないですって。
Love and Peace!言ってる場合じゃないですって。
Save the Earth! Be Organic! あぁとまらない。







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